とりあえず「_゜」
深い意味はない、ご覧のようにアンダーバーと半濁点。


体脂肪率とは何なのだろうか。
自宅にある体重計では5.0%という数値が表示される。
ちなみにそれ以下の4%台は表示されない可能性が高い。
筋肉質のスポーツマンなら分かるが、正直自分には当てはまらない。
瀕死状態との宣告を受けるようで癪である。
なら乗るなと言われそうであるが。


あることについて迷い相談する時、ABが違う答えを出す。
こういった場合は、占いと同じで自分にいい評価を与えるものを信じる。
そんなメディアリテラシーを持つ人も少なくないだろう。
星座占いの最下位で血液型占いの最上位、インスピレーション占いの最下位、
といった可能性も容易に想定されるわけで、何を信じても嘘になる。
過去にラッキーアイテムを買ったら不良品だったことが2回ある。
星座占いで1位だった日に、自転車のカギをなくしたこともある。

占いを信じる人を否定はしない。
事件が起きる前にその能力を活かしてくれないかと思うような
犯人を割り出せる超能力よりは、幸福感もあって有益なものだと思う。
だが占いで将来を当ててくれるなら、
日本の借金が膨らまないようにする方法と環境問題の解決方法を、
世界を平和にする方法なんかをもボランティアで占ってほしいと思う。
その能力を活かして全部シミュレーションしてほしい。
そしてその人がどの候補者に投票するのか教えてほしい。
それが「最善の道」じゃないかと思うのである。
選挙前に占い師の横を通るたびにこんなことを考えてしまう。
そう考えるとなおさら、占いを信じられなくなる。


このページの意味を問うことはしたくない。
読みにくいのは特に読み返すことを想定していなかったりするからである。
現在の主流はブログ。
時間軸やタグ・カテゴリ、見出しなんかによって整理する。
しかし人間の活動そのものは時間軸に目盛りを打つのも不思議な感じがするし、
タグ・カテゴリ分類も限界を感じる。
見出しを付けるのもいいが、
ニュースを見出しだけで知った気になるヘッドライン症候群に対して、
一切見出しを付けない嫌がらせ的対症療法を提唱してみたくなる。
それを有形化したのがこれであったりする。
不評きわまりない。


現代の「目標に向かって努力」型社会について正直、疑問を感じる。
ある点に向かって線を伸ばすことによって社会的・個人的に「成功」を
収める方が多くこの社会で活躍されているのは事実だと思う。
有意義で、有効に時間を駆使し、有益な生活を送れる一つのツールとしては、
一定の評価を与えるべき点があるようには感じる。
しかし無目的で無意味である種無駄な存在が否定されるべきではない、
それが無益であっても。そんな気がしている。
個人的にはこれを「ある意味ゼロの発見」と考えている。
今現在存在を確認できる意味での価値尺度における価値がゼロであっても、
将来にわたってもそれがゼロであると保障できるものではない。
経験則によって将来的な価値の成長が認められない事柄は、
現実社会では「否定」されてしまうが、これは妥当なのか。
ある意味におけるゼロが必ずしも全体のゼロではないこともあるのではないか。


[ Free Space _゜ ]