無駄

■無駄
 今個人的に興味深く感じているNHKの番組「爆笑学問」で、哲学者野矢茂樹が、無駄の重要性を解いていたので驚いた。
 くだらないことであるが、2007年夏より発行されている、自堕落・字だらけ・自分だけフリーペーパー「MUDA+」(ムーダプラス、非売品/発行部数1部/不定期発行)で、無駄こそが世界を幸せにするという自論を基軸に、いろんなものの垂れ流し企画記事を展開してきたのだが、ここにきて同じことを考えている人がいて非常に動揺。
 2008年、「無駄」がキーワードになるかもしれない。

■正月
 それにしても今年の民放の正月特別番組は、もう少し共感できるものが欲しかったように思う。各局視聴率の高いブランド番組でラテ欄は賑わっていたものの、どこかこれをみんなが見ていることの虚しさをどこかに感じてしまったのだ。制作に携わる方の気持ちを考えていないと言われるかも知れないが、これはつくり手ではなく、あくまでも見る立場としての一意見でしかないので、その点をご理解いただければ幸いである。
 正月。今となってはその過ごし方も、イメージとしての正月像とは異なっている部分があるだろう。仕事がある人、一人で過ごす人、ライブに行く人、海外旅行する人など。しかしながら家族が揃って炬燵に入り、蜜柑を食べながらテレビを囲み、団欒するようないわゆる「茶の間」の原風景が最も多く見られる時期はこの正月の数日間ではないかと思う。
 であれば、折角のその機会を有効に活かした番組づくりをして欲しいと思うのだ。「世代間の共通軸」の構築は、世代間で共有される時間に最も効果的に為されるのではないかということを前提に考えると、そういった面も考慮された企画をした方がいいような気がする。
 果たして80代の祖父と20代の自分が共に見ることのできる番組はどれだけ提供されていただろうか。ターゲティングは、良くもありながらもどこか繋がりを断つような側面を持ってしまっていないだろうか。無駄を省く効率化が、虚しさを生んだのかも知れない。

■紅白
 紅白では司会のチョイスや多すぎるバックダンサー、歌手とかぶって見にくくなるダンサーの衣装などの演出に多少の疑問を感じたが、演歌とポップスをミルフィーユの如く挟んだあたりには、紅白の長所=世代をつなぐ力の魅力を磨いたような印象も受けた。(周囲には賛否両論あることは事実である。)
 前節に続くがただどの局も行きすぎた視聴者目線、つまりは高視聴率目的の番組制作があるように感じられたのは自分だけだろうか。無論、視聴率という物差しは重要であり、大きなメリットを持っている。良質の番組を人々が見ることで低質なものは淘汰されていくシステム、これを超える枠組みはまだ見つかっていないように思う。だが、つくり手の目的がそれだけに偏ること、骨のなさ、デザインのなさ、ビジョンのなさ、どういう表現がいいのか分からないが、表面的な価値基準に依存することを避ける努力は、これまで築かれてきたものを基礎に、是非ともこれからも続けてほしい。
 数字上に現れることがないかもしれないつくり手の意思はその一面においては明らかな無駄と思われる。広告業界でも「効果に繋がるクリエイティブ」がもてはやされ、無駄なクリエイティブが排除される。でもその無駄はどこかで無駄ではなくなるのではないか。

■逸脱
 "force drift"、力の逸脱。NHKのまわしもののようであるが、これも2日深夜からNHK総合で放送された番組「民主主義」(33ヵ国のテレビ局による共同制作番組)で出会った言葉である。その第1回、グアンタナモでの拷問をテーマとしていた「米国『闇』へ」。「力の逸脱」という表現が拷問の本質を見事に捉えているように感じた。
 拷問という無駄の無駄でない活かし方は、そこから有益な情報を得ることではなく、大小を問わない悲劇をなくすことである。無駄と言われても、崩さなければならない巨大な壁に意思という石を投げ、ぶつけ、壊そうとしていかなければ、無駄という位置づけでさえもなくなってしまいかねない。
NHK 33か国共同制作「民主主義」

■抱負
 何が無駄か。無駄とは何か。
 少なくとも上記の千字以上に渡る文字列が「無駄」の一つではないかと思う。そう考えている自分自身も「無駄」の一つであるとの思いを新たにする一年の幕開けである。表明するだけ無駄であるかも知れない今年のテーマは「無駄のダム」建設。これを負を抱えると書く、今年の抱負としよう。マイナス(負)も無駄とならぬように祈る。
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