頼もしい人たち

雪のため遅れた電車を乗り継いで行った先で待っていてくれたのは「進む人」たち。いやらしさのない活力がある。自分とは対照的に行動力のある男は全く物怖じしないタイプのようだ。
手ぶらで行ってしまったが相手は準備万端。次から次へ出てくる資料の数々。詳しい話を聞いても、受け答えがこれだけはっきりした後輩がいると、無駄に過ごした年数を時間の神様に返上したくもなる。
就活の話になってしまったときに、偉口を叩いた自分が醜かった。先に内定をとりそうな気配に、吊り橋から突き落とされそうな気もする。

果敢さに伴う「ぎらつき」は嫌いであるが、彼らの場合は「輝き」だった。ブラックホールでしかない自分が、それを台無しにしてしまうような気がしてたまらなかったが、吸収できるものはとかく大きいと思った。15畳ぐらいの閑散とした出会いのスペースは、今後の伸びしろであろう。
彼らがもつような力に触れると、高波がプレハブの自分の頭を突き抜けていくような感覚になる。何もなくなった土地に何を建てようか、考えるだけで楽しい。なのに朽ちた柱をかき集めては無計画に風を避けるためだけの壁からつくりだしてしまう。基礎のないその家は、上にどんな見栄えのするものを付けてもいづれ至るところに亀裂を生じさせる。
だからこそまた壊れてほしいと願い、だからこそまた建て直したいと思い、今度こそしっかりした基礎を持ちたいと望んでは、取り繕うことだけの技が研かれる。歯切れの悪い鉋で削っても、軽すぎる金槌で叩いても、錆び付いた鋸で切ろうとも、いい家は建たないとわかっていてケチる。廃材利用で生きてきたツケの怖さだ。
廃材中毒症とでもいうべき泥沼の中で、今日も光合成しないまま1日が過ぎ行く。
※こんな無駄な文章は誰も読むべきではない。
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