集中力があることはいいことだろうがデメリットもあるのではないか的な印象を持ち出した今日この頃の自分の頭の中の冒険の1コマをなんとなく書きつづってみたらこんな感じになるのではないかと思う

 「転勤はありますか」大阪の会社説明会でよく出る質問だ。関西で働きたいという人も多いのだと思う。
 でも。自分が関西採用の企業を多く受けているのは、別に関西で働きたいと考えているからというわけではない。面接でも全国転勤希望、と言ってみたりする。東京以外であればどこでもいい、という気分でいたりする。
 電車賃をケチっているのもあるとは思う。しかし、実際のところ何でもかんでも東京、ということには正直うんざりしてきた。人も、カネも、モノも、政治も、芸術も、メディアも、学問も、思想も。集中、この流れに反対できるのは東京以外に住んでいる人間でしかない。大阪で20年暮らしてきたこともあり、その役目を少しは果たせないだろうか、と考えるようになってきた。多くの学生を有する関西で、学生が東京以外でしか選考を受けない、という静かなストライキをかけてみたらどうなるだろうかと妄想が膨らむ。
 「お前、前にもNEETを資本主義に対するストライキと言ったが、誰もそれを認めないじゃないか。相手に痛みを与えられてない以上ストになってない」という声が聞こえてきそうである。だが、静かすぎるストはふとしたところで静かに効果を生むのではないか、どこかでそんなことを祈ってしまう。別に共産主義者ではないが、「ある意味での革命」を無意識に期待しているのかも知れない。

 関西からの企業流出が続く。地盤沈下が止まらない大阪からは日清食品が出て行くことになる。正直なところカップヌードル不買行動に出たい気分だ。
 一方近年、IT企業には地方に本部を移す動きがあるように感じられる。はてなは東京から京都に、サイボウズは松江に。アイディア創造企業が動き出したことに密かに期待をしていて、クリエイティブの移動で大きな流れが起きるのではないか、こちらも妄想中。
 首都移転の話題いつの間にか消え失せ、道州制の話になったが、おそらく一旦集中した権力を分配するのは至難の業だろうと思う。
だが仮に関西州ができれば、環境首都を滋賀に、学術首都を京都に、商業首都を大阪に、交易首都を神戸に、芸術首都を奈良に、食糧首都を和歌山に置くことができる。このバラエティの豊かさは関東ではできない強さとなるのではないだろうか。いろんな首都がある国になればと思う。

 仕事があるところに人が集まれば、人が集まるところにしか仕事が生まれなくなる。東京に吸引力があるのは否めない。でも吸われてしまえば掃除機のパックに入ってしまうだけなのではないか、そんなことを恐れてしまう。排気口から出されただけなのかもしれないのに。
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