人間力

 この言葉、最近よく耳にする。漠然としすぎていて全く分からない。それもそう、総合的な魅力のことらしい。何か、なんて問うてみたのが失敗だったんだろう。
 こんなサイトがあった。
「若者の人間力を高めるための国民運動」って言われても国や経団連が関わっておいて「国民会議」っていうようなものに、こんな風に呼び掛けられるのはちょっと癪。年代としては若者に分類されそうな自分の正直な気持ちとして多くの大人が高い人間力を持ち合わせているとは思えない、自分も含めて。
さも「私は人間力がある」っていうような方が評議員になられているのか。そう思っていることがすでに人間力に欠けるのではないか。
 勿論人間力のない者が、人間力を語れないし、その人に人間力があるかどうかも分からないから、人間力をつけなければと思うことも難しい。
 「青少年健全育成」もおかしいと思う。健全とは何か、全く分からない。犯罪となる非行に走らなければ健全か、青少年期の伝統的な「あるべき姿」に合致すればいいのか、所属している方はみな健全だったのか。青少年と正面から向き合う大人の会ならまだ分かるような気はする。
 ネーミングはこれでいいのか、そう思うものがある。
 ここでは「せんとくん」については敢えてコメントしない。パナソニックにも言及しない。ただ似たような社名の会社が連なり、似たような名前の商品が並ぶ今日、ブームに流されず生きるネーミングというのはより輝くような気がする。
 名前がなくても何なのかが分かるのならそれでもいいと思う。むしろそうなりたい。そのためには単にブームになってしまってはならないのだろう。
 「人間力」ということばもブームとなった今、もはや説得力や強さがなくなってしまったようにも感じる。齋藤孝氏の○○力は確かに強かったが、新作が登場するたびに魅力は激減していく。
 どんな魅力もつけようとおもってつくなら、魅力じゃない。
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