我輩:開花まえ

 東京に来てから5日。ホームシックはまだない。
 22年住み続けた我が家を離れてからというもの、新しい環境(という表現自体が自分本位であるが)で細々としたことに違和感を覚えつつも、この街でしばらく暮らすことになることに鑑みて、慣れへの必然の波に乗ることを心に決めては、まだのみこまれたくはないといった身勝手な要求が腹の底に垣間見える今日この頃である。

 この部屋に来てから5日。ベッドとテレビはまだない。
 奉公先から提供してもらっている住まいは、想像以上に快適で却って悩ましい広さがある。家賃の高いこの街で暮らすからには、この寮を出たあとの次の貝殻のことを考えると悲しみが立ち込めてくる。
 段ボール10個で始まった生活も、要らないと思って置いてきたものを結局買っている状況であって、家財は買ってしまって次の店でいいのを安くで見つけては後悔を繰り返す。

 そんな室内を飛び出して外を歩きたい。だが、23区内と言えども網の目のようにはりめぐらされた世界一ややこしい地下鉄ネットワークから珍しく取り残された地区で、駅から徒歩20分といった立地のこの部屋。高層マンション群の中に位置し、郊外型住宅街としての機能は揃っているが、自転車がないと寂しい足元事情。残念ながらコーナンで売っている9800円の内装3段の自転車がこの土地ではみつからず、この際もっといいものを買うべきかと思っていて、自転車はまだない。おかげで徒歩とバスで買物に行っては大荷物を担いで帰ってくる毎日である。

 いろんなものを買いながら、生存に必要なものと生活に便利なものとの境界線が思ったよりも後者を広くとるように引かれることに驚いている。景気対策にでもなれと思いながら無駄なものを買いつつ、ミニマムライフを思い描いていた1週間前と正反対の行動に落胆する。

 同寮の同僚に助けられながら、サクラの花開くのを待ちながら過ごす弥生の末に思うこと。
 ひとり。これを支えるものがいかに周囲にあるか、ということ。
 花が美しいのは花弁があるから。中心は、周囲がなければ存在しない。点から線へ、線から面へと視野を広げていきたい。
 そして、花開くか。
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