会話:連続させる寛容性

 英語の案内は苦手である。
 秋葉原を歩いているとインドからきた2人組に道を尋ねられた。とっさの英語とは、中学以下のレベルとなることを肝に銘じておかなければならない。
 "Excuse me, we wanna go to Yurakucho. So where is the Yamanote line Station?"
 多分こう聞かれたのだと思う。80%は私の推測である。インド人の発音はかなりはっきりしていて聞き取りやすかったのにもかかわらず、正確なヒアリング能力は8割引きセール中だった。年末だからということにしておきたい。
 たまたま駅に近かったので、"OK, well, can you see that train? That is Akihabara station of Yamanote."と言おうと思ったが、口から出たのは、
 "Hmm, follow me, please."
 結局こうなる。とにかく短い文しか思いつかない。
 "Where are you from?" "How about Japan?" "What is your name?" "What did you buy today?"
 なんだこの疑問詞詰めは。駅に着くまで間を持たせようと話してみて返答を受けても、"Wonderful." "Good."としか返せない。「インドから来たんだけど、とにかく日本は寒いね。」に対する自分の応答として、"Cool."でしかなかったのが、何だか笑えてしまった。NEW CROWNでいうところのKenとTomの会話のようである。うむ、弾まない。
 日本語でも同じだろう。返答に対して応えるだけの技量がないまま発してしまう質問を、何も考えずにしてしまい「ふーん」で終わらせた後の微妙な沈黙は、情けなさと腑甲斐なさと申し訳なさをつくってしまう。これをただひたすら繰り返すのが自分の悪い癖というか、残念なところである。
 "Have a nice trip."
 そう言って別れた後で考える。
 自分が海外へ行ってどこの国でも言われた、もっと簡単でもっとありふれた言葉がなぜ思いつかないのか。安心感と包容力をもったたった一語の言葉。普段、そんな気持ちで人に接していないということを示唆しているのだろうか。もっと寛容な人間でありたい。
 "Welcome."
※とりあえずコミュニケーション力を人間性から鍛えなければ。
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