編年:肩越しに未来を振り返って

 結局のところ年がひとつ変わっても、いきなり世界が逆転することもないし、人の生活に劇的な影響を与えるものではないが、ひとつの区切りとして頭の中で小節リピートをかけてみることで、次のメロディへの変化を楽しめるのではないかと思い、ひとまとめに回顧するのも悪くないのではないかと、周囲が一年のまとめを終えたのを見計らって、実施してみようかと思う。
 自身に特に強い影響を与えたと思うことはなんだったのだろうかと考えてみると、特に不意に訪れた変化とともに、関連するメディアを残しておこうと思う。

(1) 生活空間の変化 → 快適な住環境とは何かを考える時間の増加
 前の職場の方の精神的な支援もあってこその実現した仕事内容の変更は、想定の範囲内だと言えるのかも知れない。一方、転居に伴う住空間の変化が与えたことはいくつかある。
 ひとつは住意識。転居先は東京北部にある往年の計画住宅都市。築年数はあったものの、開口部の大きさや街路樹のある道路に面している点が特に気に入って、入居を決めた。そのときは全然無知であったものの、街の成り立ちを知るにつれて、周辺住民の意識の高さに納得するに至る。まちづくり通信が発行されたり、文化的なイベントが開催されたり、普段も家の前の道の掃除をする人の姿を見かけることが多いのだ。
 転居前は築浅の見た目はしっかりしたマンションだったが、清掃は管理会社任せでゴミの出し方すら守れない住民もいたり、設備のレベルと住民のレベルのギャップには相当驚かされ、ゴミの日の度に落胆を感じるばかりだった。
 アウトソーシングや住と職の意識の分離によって失われる感覚や意識について、非常に大きな危機感を覚えたのだが、対照的な住カルチャーへの転入によって良好な環境を快適に維持することの責任を感じるようになった。おそらくゴミを適切な日に出すことができない人には、国も人も仕事も自分自身も愛せる可能性はないのだろうと思ってしまう。美しい国を目指す人を選んだ国民である以上は、街的な部分での感覚を磨く必要があるような気がする。

■オンラインアイディアボード「Blabo!」
http://bla.bo/
「Q&Aではなく、Q&I(アイディア)です」の言葉通り、まちの問題についてアイディアを出しあって解決していこうとするアプローチを実践する。ファシリテーション能力が高いなと感じられるテーマ設定が光っていて、他の人のアイディアに触れることで楽しみながら考えられる。


(2) 通勤過程の変化 → 間接的に受ける影響への関心
 さて転居によっての変化はもうひとつ。広告における情報とメッセージの割合配分についてだ。
 自宅から自転車で10分の通勤が、新宿と池袋を経由して電車で30分に変わったことで、電車内の広告を見る機会が増えた。だが、思い出せる広告に触れる機会が増えたかというと真逆である。山手線の車内広告などはおそらく一級品の広告現場であると思うのだが、こんなにあるのに印象に残らない、というのが実感なのだ。
 インパクトだけが重要視され、広告効果が高いとされる激しい色を使い、太いゴシックで概ね紙面の8割程度のテキストで埋める形式の、いわゆる「楽天型」広告(例:ビックロ)の多さである。マンガ盛りのお茶碗のように情報はたくさん載っているのだが、どうしても美味しさが感じられない。あたたかみのあるメッセージ性の度合いが弱まったことで、奥行や未来に伸びる線分の可能性が失われたようにしか思えないのである。こういうゆとりのなさに不景気感を感じてしまうので、世の中は負のスパイラルに陥っていくのではないかと考えずにはいられなくなる。いずれ、残っていた余白もさらに失われていくのだろう。無論どんなに情報が出されても、経済の大原則としての需給曲線に従って、その必要性は同質化によって価値は希釈されていくことになる。そして「感じること」を忘れた人が、街を歩くだけの都市の空虚化につながっていくのではないかという懸念が募るばかりだ。
 そこでどう防ぐか。広告や媒体からメッセージを受け取ったら、身近な社会に「レゾナンス」することにした。今年はiichikoのポスター広告に癒され焼酎はいいちこを購入し、残念ながらビックロにはヒヤヒヤさせられたため別の電機屋を利用しつつ、「いいね」ボタンに相当する評価を、Twitterという文明の利器の活用を中心にやっていこうと思うようになった。ソーシャルメディアである以上は、社会的に有意義な形で使っていけたらと思う。

■Grow!
https://growmonth.ly/
「コミュニティをつくる。サポーターをつくる。」を合言葉に、プロジェクトやコミュニティとサポーターとの連携をつくるため、決済などの仕組みを提供するウェブサービス。
クラウドファンディング「CAMPFIRE」とは違い、プロジェクト単位の総額目標などはないので、他人の動向に押し流されず、真摯に「好きだ」と評価しやすい。


(3) とある計画の破綻 → 可能な方法の模索
 仕事と趣味のその間。そんなことを模索しているのが現段階である。仕事は仕事で割り切って、趣味は趣味で楽しむというスタイルだけでは満足できない人は、自分だけではないだろうと考えてきた。客のための仕事と自分のための生活が分離してしまうことは、極めて危険な形で誤ってしまったお客様至上主義が生まれてしまった元凶のひとつではないかと思っている。生活を犠牲にする仕事をして、社会を犠牲にする生活をするなんて、なんのための時間の連続性なのか分からなくなる。だからこそもっとその中間色を出せないかと考えてしまうのだ。
 しかしながら今年一年身の回りの人に聞いてみると「休みの日には仕事のことを一切考えたくない」派が多い。じゃ、仕事しなきゃいいのに、と思ってしまう。嫌々やる仕事による弊害はゼロではないことを意識してみたらいいのではないかとアドバイスしたくなる。分けなければいけないことも少なくないが、両者に活かせることを各々閉鎖的に考えるのはいかがなものかと感じるばかりだ。
 ひとつ計画があった。「その間」を増幅する場の創造であったのだが、自身の能力不足で破綻に陥っている。運用維持の可能性が薄く、もう一度アイディアを練り直すことと、時代環境を再調査することにして、白紙撤回することにした。そんな中で出会った言葉がある。
 「最大のリスクは、たくさんの人が、あなたを説得して夢をあきらめさせようとすることだ。世の中には、うまくいかない理由をあげることが大好きな人が多すぎて、『応援しているよ』と励ましてくれる人が少なすぎる。」(ジョン・ウッド)
 自分が自分に対してやってしまっていることだな、と思う。他の人に対しても同じようにしてしまっているのだろうな、と思う。応援って難しいなと感じる。
 自分の中に世の中をつくって全然「世」じゃない虚構に浸っている、というのもある。着実にすることと勢いに乗ることとのバランスも図っていきたい。もっと風を感じなければ、と思うようになった。今からでも可能な方法を考える、それが年を越えてのタスクになりそうである。

■ジョン・ウッド『マイクロソフトでは出会えなかった転職』
途上国への図書館建設や学校図書寄贈を行うNPOルームトゥリード創立者の自伝本。「僕が考えたいのは、『できない理由』じゃなくて『どうすればできるか』ってこと」という言葉が印象的。前述の言葉も本書より。(ランダムハウス講談社、矢羽野薫訳、2007 ── John Wood / Leaving Microsoft to Change the World: An Entrepreneur's Odyssey to Educate the World Children)
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