Muda

MUDA

このサイトは、完成された「芸術作品」ではなく「アプローチ」を展示することを方針に掲げた仮想ミュージアムです。

光り輝く完成品とは違って、試行錯誤のメモの類に当たる「アプローチ」は派手ではありませんし、売り物にもできません。 ですが、完成品に到達できたのには、地味な反芻があってこそだったのではないでしょうか。 そう考えてみると、ゴミのような時間の浪費のプロセスにも、大きな価値が含まれているのではないかと考えています。

残念なことにそのアプローチは、能率や効率、経済性や合理性といった言葉からは、乖離したものなのだと一般的には認識されています。 それを「無駄」と呼ぶのであれば、それでも構わないと思います。 ただ、無駄が社会の潤滑油となって、思考の燃料となっている限りにおいては、それも社会を創造する1つの重要な構成員であると考えています。 そのため一概に排除すべきものだとは捉えられないように感じられるのです。

さて、必要でないから無駄であるのにも関わらず、無駄は不要物ではない主張する以上、そこには矛盾が伴います。 ここでしなければならないのは、無駄の再定義です。無駄とは何か。

いま現在の段階で、その結論は分かりません。 そのために探検しなければならないと考えました。 その過程、無駄へのアプローチを展示するのが、このサイトです。

無駄が何者なのかは分かりませんが、無駄と呼ばれているものごとは結果論でしかないということは明らかです。 プロセスの段階にある限りは、無駄かどうかは分かりません。 また結果的にプロセスの先に無駄があっても、目的は達成されたことになるのでそのプロセス自体は無駄ではなかったことになります。 反対に、はじめから無駄ではなかったものであったとしても、そのプロセスが否定されることではないように思われます。

無駄論を述べていくと、より無駄に近づけなくなっていく、そう感じられることがあります。 なにか自己矛盾が見え隠れしているように思われます。矛盾は困難であるのですが、それ自体が無駄だと考えるのは短絡的すぎるとも言えます。

これは、アバンギャルドな芸術運動ではありません。 社会や自己の再構築のヒントであり、分析の一視点である、と考えています。

普段何気なく見ているもの、感じていることを、立ち止まって考えてみる時間を展示できないか、そう考え、ここに「MUDA」というサイトが立ち上がりました。 この文章もひとつのアプローチであり、それはひとつの通過点であります。これはバージョン1として、今後の発展の余地を残しているものとします。

2008年10月