続編:低速ハイウェイ

家から4時間、三島由紀夫の文庫を片手に鈍行に揺られる。
福井駅の駐輪場に暫く置かせていただきました通学自転車。
前輪はやっぱりパンクしていたので、パッチを張り替える。

福井駅から1時間、修行僧が磨く回廊で繋がる禅寺永平寺。
数百年の年月を経た古木と、色づきはじめた紅葉がきれい。
ただ建物の新しさには、観光地化され過ぎた感が否めない。

永平寺から一乗寺朝倉氏遺跡の方面へ向かうのだが、だが。
そこに山があるから、と言いいたげなアップダウンが続く。
鯖江の盆地を越えて、一山越えれば夕暮れ間際の絶景の海。

呼鳥門は福井の万座毛みたいなところで、天然のトンネル。
かつては県道が通っていたところだが今は完全に立入禁止。
観光地として認知されなさすぎているのが、悲しいところ。

まだあたたかい夜だとはいえ、ちょっと冷える11月の野宿。
海岸線の先に敦賀の明かり、沖合に夜通し漁り火が見える。
間借りしたバス停の待合室に差す街灯が消えると夢の旅へ。

福井新聞の配達人が待合室に新聞を置いていく4時半起床。
まだ暗いので周辺を散歩していると徹夜で釣りをする人が。
趣味なのによくやるなぁ、と思いながら漕ぎ出す夜明け前。

月と太陽のバトンタッチを見ながらの、シーサイドライン。
越前しおかぜライン(旧河野海岸道路)は爽快で美しい風景。
できれば、晴れた夏の昼間や夕焼けの頃合いに通りたい道。

「国々の八景さらに気比の月」と芭蕉が詠んだ気比の松原。
着いたのは朝、照らしはじめた太陽と背中の松と半島と海。
日本三大木造鳥居の気比神宮を通って、敦賀をあとにする。

敦賀からマキノへ抜ける国道161号は10キロ程の上り坂。
交通量は少なめだったのでよかったが、路肩も狭い一本道。
穏やかにも延々と続く引力への抵抗に疲れ、歩きまくった。

廃屋好きが好きそうなスキー場、敦賀国際スキー場を見る。
割れたガラス、熊の置物、広がるススキ畑は10年間放置か。
この先は滋賀県、合併しまくりで巨大になった高島市入り。

県道533号は国道からの客を見事な急坂で迎えてくれる。
10分程進めば数十メートルは上っていき、遥か下に国道が。
カラフルな山肌を見ながら、茅葺きの家が残る在原集落へ。

集落の人々の邪魔をしないように、そっと抜けて下り坂を。
マキノピックランドの500本のメタセコイヤ並木は圧巻。
もう少し日を経ると、ちょうど色づいてもっと映えるはず。

琵琶湖沿いを駆け抜けて、夕陽に照らされる浮御堂と鴎達。
思っていたより小さいが、東洋的な美意識が垣間見えるか。
堂内の仏像はどうしていくつか横向きなのか、気になった。

お陽さまが比叡山の向こうへ隠れてから通る、雄琴温泉郷。
ネオンが灯る前の薄暗さには、光度のだけではない雰囲気。
官能的な温泉に浸かりたいなら、何でもありそうな気配も。

大津京と名を変えた西大津、びわこ競輪から出てくる男達。
このあとは雄琴へいくのか、帰るのか、と考えていた一瞬。
突然のブレーキ破断、あと少しなのにと嘆きつつ修理依頼。

逢坂の関は意外と楽に越えられ、旧三条通を抜けて京都へ。
等持院に着いた頃、視聴率25%のサザエさんも終わってた。
130キロぐらいだったが、自分の体力の余力は25%ほど。

パンク修理に始まり、ブレーキワイヤー破断もあった道中。
通学用の普通の自転車は、長距離走行には向かないようす。
嗚呼、今日も筋肉痛。家への階段が長く感じて仕方がない。

※京都から東海道・木曽路・千国街道・北陸路・湖西路を経ての帰洛。僕の細道、完。
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