普通:ちょっとそこまで700km

 一週間ぶりの帰宅。帰路でネーミングに悩んだが「どこまでも普通の旅」とでも題しておきたい。普段着で、いつもの靴を履き、3年前から変わらぬお出かけセットを持ち、例によって適当にどの辺りで泊まるかだけの簡単な予定を立てての出発。日常の延長線上の旅なので、例によって荷造りなんて当日の朝。詳細は一切決めず、家族にも何も言わず、普通の自転車に跨る──。
 旅日記を公開してもしょうがないかもしれないが、雑感を多少書いて置くことにしたい。
 今回は途中松本まで友人と一緒。多分ひとりなら自転車じゃなかっただろうと思う。行くとしても、大学への通学のため3年ほど京都に置いているシティサイクルを走らせることは、考えなかったのではないかと思ったりする。一体なぜこの距離をこの自転車で行くのか──。正直なところ道中何度も自問することになったのだが、多少の二酸化炭素排出抑制にでもなったと考えることで、答えにならない答えにしておくばかりだった。正しい答えは相方に期待したい。

 そんなこんなで気が付けば出発している。三条通りから山科を抜けて、歩道はどっちだったか悩みながら最初の難関、逢坂の関。前回、前々回に通った時よりはまだ楽なのは、朝だったからだろうか。上ってしまえば下るだけで大津。近江大橋を渡れば琵琶湖が美しく空を映す。琵琶湖博物館に寄ってみるのだが、何のその、設備点検で臨時休館、ハイさよなら。
 近隣の道の駅草津では、草津イチオシの「草津が生んだ奇跡:あおばな」の商品が並ぶ。ツユクサの大きい版みたいなもので7月前後に咲くらしく、かつては友禅の下絵を描く時に使っていたという。今はダイエット効果があるんだか何だとかで、お茶や飲み物、メロンパンや蕎麦、染め物などで商品化が図られている。そのひとつ、アオバナソフトクリームに関する解説と講評は友人の日記に託すことに。
 近江八幡、さらに彦根へ。彦根城の中に高校があるのか。やや時間が不足気味になってきたので先を急いで、県境越え。関ヶ原は夜、何か出そう…。垂井まで出ると大型店も増えやがて大垣。お腹空いたんでミソカツ定食。本場の名古屋ではないとはいえ、みそだれって美味しい。タレがあれば家でもやってみたいところ。
 さてさて、宿探し。ちょっと高いけど他の宿が満室だったので、駅前のAホテル。折り鶴でおもてなしの心を表現していたり、さすがに有名ブランドのビジネスホテルだけあってお手入れが行き届いてた。どうでもいいことだけど、髭剃りにシェービングクリーム付いてました、おお。でもどうせ寝ちゃう人、ひとり。

 翌朝はゆっくり。2日目は諸般の事情で大垣市内をぐるっと一回りでき、大垣共立銀行本店と復元っぽい大垣城なんかを眺めたりする。友人と合流すると養老電鉄に自転車を載せる。養老電鉄は旧近鉄養老線で、現在は沿線市町が運営する形になっている模様。土日は、サイクルトレインという制度があり、普通乗車運賃で自転車と一緒に乗れる。すげぇー、水間鉄道とかがやってるって話は聞いてたけど、ごく自然に自転車を通路に載っけてる。空いているからできるのだろうけど、これはいいシステム。降りた養老駅は瓢箪だらけ、どうやら名産らしい。
 駅を出て坂を上っていくと「養老天命反転地」という荒川修作とマドリン・ギンズ両氏によるアートサイト。絶望的な現在の世界を、死へ向かう天命(宿命)を反転させ、希望ある未来に転換することを企図している公園建築なのだそうだ。確かに既成概念を転換させるべく、趣向が凝らされていて考えるべきところもあって興味深い。何事も傾いている。場内にはいろいろな道があったりする。死なない道から分かれて行くとまさかの展開になったり、細い一本道を一生懸命進むと人生の難所があったりと。目指していた素晴らしい未来は、驚嘆と呆気ない形で現れ人生をやり直したくなる。
 また、リーフレットの「養老天命反転地:使用法」もなかなか面白い。「極限で似るものの家」では「中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫んでみること」「自分と家とのはっきりした類似をみつけるようにすること。もしできなければ、この家が自分の双子だと思って歩くこと」など。自分がどこにどんな形でなぜ存在するのかを考えながら、これといって入り口も出口も部屋もない「家」に、多元的な階層世界の存在と多様な関係性の複雑さに翻弄されながら、快楽と絶望を互換的に味わえるのではないかと思う。不安定性、マージナルな主観、疑い、整理できない連関の絡まり…、「自分と家とのはっきりした類似」とは何だったのだろうか。
 もうひとつの建造物「楕円形のフィールド」の使用法も面白い。「バランスを失うことを恐れるより、むしろ(感覚を作り直すつもりで)楽しむこと」「一度に焦点を合わせてみる場所(近くの降り立つ場)は、なるべく少なくすること」などとあるが、果たして。「『宿命の家』や『降り立つ場の群れ』と呼ばれている廃墟では、まるで異星人であるかのようにさまようこと」「『切り閉じの間』を通る時は、夢遊病者のように両腕を前へ突き出し、ゆっくりと歩くこと」という注文も不思議。実際に行ってみるとそれどころではない混乱を楽しめる…。
 が、クモの巣や錆び、汚れなど時間の流れに背けなかったこのテーマパークの一面を見てしまうと、突然に現実を思い知らされる。それは全てが曲線だった世界に唐突に差し込む嫌がらせのレーザー光線のように自分の身体を貫いて突き刺さる。逃れられない何か、死へと向かう自分の一本道をどれだけ否定しようとも、その方向へ向かっていくただひたすらの追風を感じながら、反転できないネガティブさを覚え、それは固定されてしまう。天命を反転できなかった、まいった人がひとり。
 そんな感覚テーマパークをあとにして、揖斐・長良・木曽の三川を渡って犬山へ。珍しく木曽川に面した黒い城、犬山城へ続く昔のメインストリート沿いには古い街並みが広がる。五平餅屋の気さくなお母さんが、何かと教えてくれる。もう一度、時間のある時に来たいところ。
 日本ライン沿いを走る頃には月も出ていたりする。ライン川の風景に似ているということなのだが、ヨーロッパへ行ったことがない…。
 美濃加茂まで自転車道を気持ちよく飛ばして行って、さてと宿探し。もう暗い。もう少し進みたい思いと、このさきの夜間走行の怪しさで、多治見側へ。偉く遠回りしましたね、今日は。でも終わる〜、と思っていたら道を途中で誤ったらしく、ずっとバイパスを行く羽目に。街灯なし、山間部を突き抜けるだけで坂も多いし、周りは人家がなく闇。頼りになるのは、結構飛ばしていく自動車のライトと、相方の存在だけ。さっさと通り抜けようと、歌いながら漕ぐも二人して息切れ。シーン…、バシッ。垂れ下がった蔓が顔に当たる。
 そんなこんなでとりあえず多治見。闇のあとの明るい街はホッとする。一気に引き戻される感覚で国道沿いのファミレスなんかを使ってしまう。お腹いっぱいで寝ちゃうひと、ひとり+相方。

 翌朝ささっと、神言修道院を眺めて多治見を後にして、さかのぼり。土岐をささっと通って、中津川方面へ。新道だからなのかアップダウンが激しい。途中喫茶店で朝食を摂る。というのも、岐阜県内の喫茶店では、朝の時間帯に限り、ドリンクを頼むと同額でモーニングセットとなって、トーストと茹で卵、ヨーグルトなんかがついてしまう、素晴らしいサービスがある。朝食のために車で来るような人も多くて、驚いた。
 中津川を抜けて馬籠を目指す。何せすごい坂、半端ない。自転車を降りて押してしまう。傾斜10%ぐらいあるんじゃないかと思う急坂。九十九折りで一回曲がると10mぐらい高くなっていくようで、景色はよくなるけど、顔色は悪くなる、そんな感じだった。
 途中、旧中山道の石畳がある。大部分は復元であるが、こんな道を馬や牛や人やが通り抜けていったと思うと、なかなか考えるところがある。案内板によると中山道は、軍事上の意味合いが強かったりしてあえて山場の難所を通したのではないかとある。でも川止めに合うところが少なく、お姫様の通行は中山道が使われたという。なるほど。ただただ険しい。
 中山道で最も標高が高い宿場町、馬籠は凄い観光客。藤村の故郷。最上部の辺りの展望台からは青々とした恵那山が非常に雄大な姿を見せる。中には住んでいる人もいるのだが、極めて観光地化された印象が漂う街並みである。暑いし、坂だし、人多いし。疲れ気味のふたりは、栗ご飯定食で元気回復か。
 旧道を逸れて一旦坂を下り妻籠へ。ただこの下り坂、恐ろしい急坂。今までに味わったことがない。標識では傾斜10%。数分で国道まで下るのだが、気圧で耳がキュンとなる。自転車でも。相方の自転車の前輪のブレーキパッドは、代えたばかりなのにもう溝が無くなっていた…。前輪だけかけてたんじゃないの…?
 妻籠はまだちょっと空いている。馬籠よりも広いというのもあるかもしれない。友人曰く、日本で初めての重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのがここで、街並み保存の先駆けの地だそうだ。守るべきものがある、という事実が窺える。ただ資料館は残念ながら復元。どうもその分の迫力不足を感じてしまうが、とは言ってもかつては殿様が泊まったようなところだけあって、精神的に奥行きがある構造になっている。
 さてさて時間も詰まってきたことから、木曽川沿いの19号線を急ぐ。歩道が反対側に入れ替わるため歩道橋で繋がれた箇所で、渡ってみたら通行止めであったりするような疑問を抱く維持管理不足を悩みながらも、そして馬籠以降は自転車の調子をみながらであったりするが、なんとか大桑まで来る。道の駅で夕食を摂る。時間かかるし、値段高いなぁと思いながらも、予想以上に豪勢なものが出てきた。おお。
 お腹いっぱいで、辺りが暗くなると、眠くなってくるのだが、今回は却って目が覚める。というのも、街灯のない交通量やや多めの国道、しかも歩道がやたらに細い。2人とも目が悪いので、暗いと視界が本当に狭い。対向車のライトを見てしまうと、通り過ぎた後全く路面状況を確認できない。だが自転車のライトだけでは何があるか分からない。明るく照らされた時に見た数十メートル先までの画像を、断片的につなぎ合わせながら行くのだが。
「ガックン。」予想外の段差もある。
「バッサッ。」予想外に草木にぶつかることもある。
「えーっ?!、これホンマに行けるん…?」予想外に歩道が車道と離れて山側に引き込まれ、鬱蒼と木の茂る中を顔面クモの巣だらけになりながら通行した箇所もある。もう某携帯電話会社のお兄さんみたいに、「ヨソーガイデス…」と言うしかない。
 前日、日没後の走行は嫌になったのだが、この日もやってしまっている。なんせこの先に宿があるかも分からない。急ぎたい恐怖と、急げない不意打ちの狭間を往来する。周り真っ暗、気持ち真っ暗の中を、妙に無理矢理テンションを上げながら通行すること小一時間。まだ続くのか…、そんな思いでこぎ続けてタイムリーに目に飛び込んできたのが、中部地方でよく見かけるコンビニ「タイムリー」。そうして、ここ寝覚ノ床に着くのだが…。
 町営の宿が時間的に難しいのではないか、とのコンビニの方のひとことで、ひとつ手前にあった民宿へ駆け込む。戸を叩いて夕食は既に済ませていたので要らないと言うと、女将さんが「ご希望が有れば、あなたの予算に合わせますけど、じゃ朝食付きでコレでどうでしょう?」という。正直なところ2人とも泊まれればよかったので特別プランで助かった。部屋も一般的な旅館という感じでいい。お茶もお菓子もいただきながら部屋で女将さんと談笑。訛りではなさそうだが何か語尾が半音の半音ぐらい上がる感じでパキパキっとした特徴的な口調の女将さん。
 お風呂は桧の浴槽で香りもいい。だがここで友人は奇跡的な体験をする。洗い場で桶に水を張って、髪を洗っていた相方。さて、最後に桶の湯を浴びようかと思った瞬間……
 「ちょっと待ってや!!」
 なんと両手大の巨大カマキリが桶の中に! 一瞬で衝撃的な最期を迎えたカマキリと、一瞬で衝撃的な思い出づくりを成し遂げてしまった友人。メガネを外して入っていた彼には見えなかったかも知れないが、実は結構沢山の虫たちと入浴を共にしていたりする、楽しいお風呂であった。田舎で電気つけっぱ&窓全開の結末は大抵こうなる。勿論次の入浴者のために、桶はそのままにしておいて就寝。

 おとなしい犬に見守られ、背景には山、そんな中でいただく旅館の朝食はおいしい。ご厚意で栗おこわまでいただいての出発。ありがとう、ありがとう。
 寝覚の床は、川の中に岩が張り出した特殊な景観。グランドキャニオンを1千万分の1ぐらいにして白くした感じ。違うなぁ。特別散策路などが付いているわけではないので、滑りにくいスニーカーなどでないと奥まで行けない。
 ここを後にすると峠までは上り。木曽の桟は、思いっきりスルー。互いに予想していたのよりは楽だった感触で、鳥居トンネルを迎える。入り口の中華料理店、その名も「峠」付近が、本旅行中最も高い標高997m。下りだったので約1.7kmも意外とあっという間に通り抜けてしまう。
 トンネルを抜けると国道19号線沿いの坂と川の流れは逆向きになる。それまでの木曽川は南西方向に流れて濃尾平野を潤して伊勢湾(河口は三重の長島)へ流れる。一方、トンネルを越えた後の奈良井川は、梓川と合流して犀川、また千曲川と流れを共にして信濃川に名を変えて新潟の日本海へ注ぐ。いわゆる分水嶺の地。ちょっと小さなダイナミズムを感じながら、ペダルを解放してみる。
 木曽路には贄川から馬籠までの11の宿場町があるが、奈良井宿には約1kmの街並みが保存されているらしく、やはり妻籠・馬籠よりも大きいように感じる。中山道67宿の中でも規模が大きいほうだったようだ。今も人が住んでいる中で守られている街のようで、伝統的な雰囲気を味わえる通りの裏には実際に住んでいる家が潜めるように建っているのが窺える。観光客向けの土産物屋ばかりになってしまうと、げんなりしてしまうのだが、中にはやはり現役の民宿や旅館もある模様。
 百年以上前に建てられたという上問屋史料館に入ってみると、なかなか趣深い。一番奥の部屋で明治天皇が休憩したと少し自慢そうに話す館長によると、上がり口の段が3段になっていて床が高いというのも特徴の一つで、それはこの宿に一定のルールがあったことと、この家がそれなりの地位のある家であったことを示しているという。そもそも問屋(といや)というのは、宿と宿をつなぐ伝馬や歩行役を管理していた家だったらしく、それを補佐する年寄役が下にぶら下がる形になるので、文字通りに敷居が高くなったのにも当時の家関係が分かる。また他方ここは庄屋の機能も兼ねていたというのでなおさら。それにしても一般の家屋としての機能と合わせると、ひとつの建物でいろいろな働きがあったということになるし、現代風に換言すれば「コンプレックス」だろうか。何かインスピレーションの種になりそうなエピソード。
 木曽の大橋というのがあると聞いて行ってみると、がっかりである。とってつけたような復元の小さな太鼓橋、しかも工事中。道の駅といっても何もない感じで…。ライダー達が記念写真なんかを撮っていたりしたが、これは止まるにも値しなかったなという感じで目を合わす2人。道の駅でお昼にしようと言っていたのにレストランないやん…。
 仕方がないので次の道の駅、木曽ならかわへ。おっと蕎麦一杯なのにまた結構なお値段ですね。なんのかんのでケチってしまい、旅館の女将さんにいただいた栗おこわを頬張るふたり。相方の大好きなご当地ソフトクリームで「さるなしソフト」を頼むも、頼んでから気づく「バニラアイスにさるなしジャムをトッピングしています」の文字。(勝手に参考リンク:こんなかんじ)これ、正直、食べにくいです。そして割高感。「さるなし」というのは猿が我を忘れて夢中で食べるところからそういう名になったといわれる、マスカットとキウイの間みたいな感じの果実で、ちょっとした酸味と柔らかい果肉だと予想。マタタビに近いっていわれてもマタタビを食べたことがないのでこんな感じの酷い説明で。(長野県内の他の場所で後日さるなしの乾燥物を食べたんですが、ん〜猿が我を忘れて食べる程かどうかは怪しいのでは…)
 ここからはちょっと飛ばし、洗馬(せば)の手前で県道304号へハンドルを切って、旧道っぽいアップダウンの少なそうな方の道を選択。これが正解でした。やがて目にしたのは、一面に広がる白い花咲く蕎麦畑。ふわっとした素朴さ薫る風景、とでも形容すべきかなんと言うか、とにかくかなり美しい。決して派手ではないので観光地化されないであろうけれども、眺めて損のない光景だと思う。田んぼの中のまっすぐの道を楽しめる。
 平出から桔梗ヶ原にかけての沿道には、ぶどう畑とりんご畑。ぶどうと言ってもデラウェアではなく「ナイヤガラ」という大粒の品種をよく見かける。りんごは長野なのになぜか「サンつがる」が多い印象。提灯のようにぶどうがぶらさがっている観光用ぶどう園では相方の交渉力が輝き、自転車ではあまり持ち帰れないのでと言うと、言ってみるもので350円でぶどう2種類食べ比べセットを特別にこしらえてくれることに。これはよかった、おいしい、さすが本場の塩尻。りんごも食べたいところだが、5個単位で袋に入っているとちょっと厄介。自転車旅行者向けにでも、バラ売り・小分販売、切に求む。
 ぶどう園で活躍する屋根がない作業用軽トラを見つけては喜びながら、郷原へ。宿場町の色合いが窺える建物が軒を連ねる。この地方独特の本棟造りは、屋根の上にちょんまげのようなものが乗っかっているのが外観の特徴。奈良井宿などと異なって間口が広く、隣家とも接近していない。
 やがて広丘というところにある塩尻短歌館で、投稿箱の上で相方が一首考える。悩んでいる間に閉館時間を過ぎてしまっていたのだが、係の方のご厚意でちょっとだけ見学させていただく。ただ筆者、短歌への造詣がなく、島木赤彦と酒好きの若山牧水ぐらいしか分からないし、アララギ派ってどんなだったっけ…。勉強不足。どうやら島木赤彦が広丘小学校の校長をしていたことと、若山牧水の妻である若山喜志子、太田水穂らがこの地の出身だったとかで、歌人ゆかりの地だそう。全然話違うけど「蘭」でアララギと読むんですね…。果たして彼はどんな歌を投稿したのだか。自分も考えてみた。投稿しなかったので公開すれば「古里に 旅人迎えて 咲くそばの 花に魅せられ 二輪そうかな」 蕎麦の花って二輪って感じの咲き方じゃないから掛かってないし、男同士旅して「傍」に「沿う」とか掛けてみても肌寒くなるくらい気持ち悪いし、ひとりツッコミのしどころが満載だったりする。奥行き感ゼロでセンスのなさを痛感。嗚呼、駄男ひとり。
 そして、とりあえずの目的地、松本。翌日からは他の友人と合流し信州を楽しむ予定の相方とは別行動になり、自分は大阪方向へ自転車に乗り続ける予定にしている。そこで蕎麦を食べながらビールを注ぐのだが…。やはり即酔う人、発見。一口飲んだだけでかなりメーター上がってしまうなんて、なんて節約家なんだろうと勝手に思ってみたり。そんな調子で酔ってみてぇ〜と心の中で叫んでみながら、気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちになる。4日間もこんなおもしろみのないやつとつきあってくれて、ありがとう。
 彼にアルコールはやめた方がよかったかと後悔しながら就寝する人、ひとり。

 怪しそうな天気を気にしながら、早朝(といっても例によって寝坊している)から国宝松本城へ。何度か復元・改修されたようだが、四百年前に建てられた城。Wikipediaによると全国に現存する天守は12だが、中でも姫路・彦根・犬山と並んで国宝4城の一つであるらしい。黒い板が張り巡らされていて、一部修繕中で完全形ではないのだが、全体として落ち着いた印象を与えている。
 続いて旧開智学校。明治期に市民の手でつくられたこの学校の存在は、モンスターペアレントの話とは雲泥の差である。建築としてもなかなかお洒落で、高度成長期に画一的につくられた鉄筋コンクリート3階建てというブロック塀に穴を開けたような校舎ではない。ここのところ特に地方部において興味深い学校建築が見受けられるが、学舎の趣というのは生徒の精神成長に影響を与えるのではないかと思ったりする。
 どうも小雨が来そうな感じだったので非難しながら朝食にでもしようかと思い、公園を探してみると、川沿いに城山公園なるものがあるらしい。標識と地図に従って行ってみるのだが…。ザ・ド坂。傾斜30度ぐらいあるんじゃないかと思う坂を超えたような坂。上るつもりではなかったのだが、ちょっと気づかず上り始めてしまうとやめられない。ここまできたのだからと誤魔化しては、朝から強力に体力を消耗しつつも展望台へ行ってみる。おお、さすが。360度とまでは行かないが、西側の北アルプスの連峰から東側の300度ぐらいのパノラマを見渡せる。これが苦労を全て消し去るダイナミックさ。眼下に広がる安曇野方面からぐるりと松本市街までの田園と住宅地が、Nゲージの街のように可愛らしささえ感じられるほどに、スケールの大きい山々に包み込まれている。時間が経つに連れて、平野部に漂っていた雲が薄れて山の裾に纏い付き、また暫くすると山を駆け上っていくように消えていく。と同時に、上がってきた太陽が北アルプスを照らしては微妙に色合いを変化させる。デジカメでは撮れない広がりと変化の風景をパンをかじりながら独り占めする。お金を払わなくても贅沢はできる。
 この公園は住宅地にあって、見えている国道まで出るのにはあっちいったりこっちいったりしてしまったが、犀川沿いの19号線を快走する。ついに名古屋から200kmの標識。来た。長野へ続く19号線に感謝を込めたさよならを告げて、今日は白馬を超えて糸魚川の日本海を目指す。
 ちょうどこの穂高・明科あたり辺りの平野部は、安曇野と呼ばれる。北アルプスの水を南北からかき集めるようにして川が流れるため、海から100kmほど離れた本島のど真ん中にあっても、透き通った水を豊富に湛える地域。その安曇野の扇状地の湧水地という立地を余すところなく活かした、わさび農場が見える。そんな県道306号は、北アルプスパノラマラインの名にふさわしく、山のパノラマを楽しみながら高瀬川の土手に伸びる。残念なのは電線がちょうど目線にかかること。稲穂穣る田園と豊かな山を分断するかのように見えてしまい、これが何とも惜しい限り。
 観光客の多く訪れる穂高町を見て回るのもいいのだが、時間的にまだ少し早目。お昼には大町から白馬辺りにいた方が良さそうなので、
後ろ髪を引かれつつもペダルを漕ぐも、さすがは5日目、早朝の無理もあってちょっと筋肉痛気味で重く感じる。ロードレーサーの3人組が倍以上のスピードで抜いていく。カッコイイなぁと羨ましく背中を見ていると、自転車から異音。チェーンには草が絡まっていたりのなんので、ちょっとメンテナンスに時間を取られてしまう。よく見ると前輪のブレーキの溝はないし、後輪のブレーキはけたたましい音が鳴る。チェーンはギシギシ。標高600mぐらいの白馬から海抜数mの糸魚川へ下る先の道を思うと心許ない。それにしてもここまでよくこれで来たもんだ。ホームセンターで調達したブレーキパッドを交換していると、田舎は優しく声を掛けてくれる人がいる。ひとりぼっちの旅だと、なんだかありがたい。
 大天井岳・燕岳・餓鬼岳を眺めて、この裏側に広がる鷲羽山や野口五郎岳なんかを地図から想像しながら大町へ。塩の道博物館がある。500円はどうも高いと思うが、やる気のなさそうな係の人を含め誰にも邪魔されないので良しとする。
 松本と糸魚川を繋ぐ千国街道(糸魚川街道)は、日本海の塩を内陸に運ぶ街道「塩の道」。生肉食から米食への転換にあたってはどうにか塩分を入手しないと人間は生きていけない。海のない信州への繋がる道は必然的に塩の道という生命線になるのだが、そのひとつがこの街道になる。現在の国道147・148号は必ずしも旧街道ではないが、それでも大町から北は山深い。だが旧街道の方は更に険しいらしく、当時は足を滑らせて谷底へ消えた人もいたという。塩が運ばれるのは農閑期である冬。スキー場の多い白馬を通るのだから、かなり大変だったのだろうと思いを馳せる。でも展示にはアブ・蜂との戦いだったとある。牛、馬、人は蓑のようなものを着て歩いた様子が記される。
 そんな糸魚川街道を離れて大町から立山黒部アルペンルートを通って一気に富山に行く方法もあるが、扇沢(大町)から立山駅まで片道8000円以上かかる上に自転車だからトロリーバスにもケーブルカーにも乗れないのでどうしようもない。単純に白馬へ向かう。佐野坂峠まではもっときつい上りかと思っていたのだが、比較的長く緩やかに松本から上っていたようで、負担は少ない。
 やがて木崎湖・中綱湖・青木湖に出会う。仁科三湖。
 一つ目木崎湖の稲尾駅付近は青春18きっぷのポスターの写真にできそうな感じで、田園と湖、そして背景には山という景色の中にまっすぐな線路が引かれている。湖に向かって佇むようにある無人駅の稲尾駅もなかなかいい。それにしても稲生の次の駅が、海からは60kmも離れた山の中なのに「海ノ口」という駅名なのには不思議さを覚える。
 続いて中綱湖(なかつなこ)。簗場駅手前から旧道へ逸れていくと見られる。比較的小さいのだが静かで凪いでいるため湖畔の木々がそのまま湖面に投影されていてなかなか絵になる。
 そしてラストを飾るのは青木湖。完璧。天気も味方して山と湖のセッションが素晴らしい。そして透き通った水。これだけの透明度だからこそ、絶妙なセッションになるのだろう。心も澄んでいく。碧の木は水に吸収され、湖面は空を木々に反射させる。青木湖の名にふさわしく、森の木が青く見える。自分の中の時間の流れを止めてみたくなる。
 佐野坂峠のトンネルを抜けると急な下り坂。ブレーキパッド替えておいて良かった、そんな思いでブレーキを握って止まるのは、姫川の源流。ここ佐野坂峠も分水嶺になる。青木湖からは一旦南へ流れて犀川・千曲川を経て信州を潤してから信濃川になって日本海へ流れる。一方峠越えをしたあとの姫川はこの源流湧水地から糸魚川へ向かう。20年以上住む家の前は川だが、川の源流なんて、そういえば見たことがなかった。そこは、湿地のようになっていて身体にそのまま流し込みたくなるような生まれたばかりの水が滲み出している。もののけ姫の世界観というか、地平の自然循環のまさに源という感触である。少し先の森にはこだまがいるような気分。ちゅるちゅると、こんこんと、とうとうと、どんな擬態語・擬音語がいいのか見あたらないと思ったが、それは全て合わさっているからなんだと思う。地上に暮らす命の複合形、だからなのではないだろうか。そんなことを思っての散歩だが、蜂に追いかけられても、ひとり。塩の道博物館の展示が思い浮かぶ。
 はて、白馬に着く。白馬駅や白馬村は「はくば」と発音するのだが、その由来となった白馬岳は「しろうま」と読むのだそうで。蕎麦畑と稲穂撓む田園が四方を山に囲まれていて邪魔者を寄せ付けないようにあるのも美しい。彩り豊かな秋もやがて終わり、冬になれば一面真っ白になるのだろう。目を閉じて想像してみる。絵葉書を出してみたり、ちょっとお土産を探したり、Hakuba47(スキー場の名前)の標識を見てAKB48と語呂が一緒だなと思ったり、白馬駅の足湯につかったりしながら、地図を眺めているとちょっとペースが遅いことに気づく。実はもう夕方の域に達しつつあって、糸魚川までは40km。夜道は男でも危険、それを前日まで幾度と経験しているので避けたいと思いつつも、日中無意識のうちに景色に身を任せてゆっくりしてしまっていたらしい。この先は谷が細く、道の選択肢も減り、地図上はトンネルだらけ。夜のトンネルは、自転車・自動車どっちにもあまりよろしくない。
 小谷の道の駅に着く頃にはまたも薄暗い。秋は釣瓶落としの日とはよく言ったもので、どんどん焦り、そして心細くなる。ここから旧道を行くか非常に悩んだものの、峠で一旦上る感じだったのでトンネルを選択。ここからが釣瓶落ちまくり過ぎて、暫く味わったことのない恐怖に突き落とされる。
 ここからは地図にトンネルとは記されていない洞門が延々と続く。落石による被害を防止するための洞門は断面がコの字型のトンネルみたいなもの。片方は壁、片方は窓のようになっている山道に多いアレである。これがこんなに厄介だと思わなかった。外は月明かりで何とかなっても、洞門の中にはライトもないし月明かりも届かない。つまり闇(特に工事中の箇所には窓側にネットが掛けられていて水道管の中のよう)。自転車を飛ばしても自分のライトだけでは10mが朧気な視界の限界。車列が途切れて、自分も止まればどっちから来たかもわからなくなりそう。歩道はどうか、ズバリ30cm。溝の上に敷かれたコンクリートブロックの蓋と縁石の幅しかないし、所々消火栓や反射板が飛び出しているので非常に恐ろしい。そんな突起物に引っかけてよろめき段差を落ちて転倒し車道へ…。その先が容易に想像される。九十九折り(つづらおり)の道なので、時速40kmで走る自動車のドライバーが転倒した自分を発見してから轢くまで数秒とないはずである。悪い想像はしたくない。でも坂を下っていくので結構なスピードが出ているし、唐突にある落下物でパンクしたら…。頭の中に浮かんでは消していく嫌な恐怖の世界を想像する。親の顔が浮かぶ。恐怖体験をした時に「母さんゴメン」と言いたくなる気持ちという話を幾度と聞いたことがあるが、こんなところでそんな経験をするとは思ってもみなかった。バンジージャンプのような派手な恐怖でもなければ、激しい痛みを伴うようなものでもない。静かに、そしてどこまでも続いているように感じられる闇の管の中で、ただひとりネガティブな連想展開を延々と繰り返す怖さ。こんなのは何年ぶりだっただろうか。しばらくは勘弁願いたい。
 洞門の合間に通るライトに照らされたトンネルが、こんなに温かいものだとは思わなかった。ところどころに残る自転車のタイヤの轍を見つけて、先人がいるという事実だけが心の支えになる。新潟県に入ってからの姫川渓谷の10〜20キロ、とにかく長いが止まるわけにも行かず、いつかは終わるのだという現実的な理論で自分を説き伏せ走り続けた。
 根知の信号が見えた時、夜で真っ暗なのに助かったと思った。誰も真似はしないと思うが、夜のこの道は絶対におすすめしない。抜いていったドライバーの人も、幽霊でも見るかの思いだったかと思う。申し訳ない。
 糸魚川。夜の日本海を見つめる。松本で分かれた友人が安否を気遣って電話を掛けてきてくれる。ちょっと大げさかも知れないが死んでいたかもしれないだけに、嬉しかった。ありがとう。少し人間に近づけたかもしれない。
 駅前ビル内の観光案内で得た民宿一覧を頼りに宿に駆け込んで、一日を終える。
 今日の励ましソング。
 「♪曲がりくねった道の先に 待っている幾つもの小さな光 まだ遠くて見えなくても 一歩ずつ ただそれだけを信じてゆこう」(絢香×コブクロの「Winding Road」)

 翌朝、日の出と共に出るつもりが案の定、寝坊。早速日が昇り掛けて鮮やかになっていく日本海を見ながら親不知(おやしらず)へ。昨日お世話になった姫川の河口も見る。源流から河口まで完成。部分的に全く記憶にないが。
 親不知は、前回の旅行中青春18きっぷで北海道へ向かう際に電車で通った。北陸道と8号線、北陸本線が重なるように密集する親不知駅。山か海かの二択地帯。山と海は繋がっているんだというのを改めて思う。国道8号だと、その名も天険というところにある展望台がいいかと。
 それにしても今日も洞門。朝だと全然印象がいい。ただ歩道はないし、路肩もそうよくない上に、急カーブと坂の連続ではあるが。何と言ってもオーシャンビューが爽快。
 市振の関を越えて境川を渡ると富山になる。京都を出てから7府県目。入善、黒部、魚津、滑川と抜けて行く。魚津のミラージュランドの観覧車が遠くからでも見つかる。今回は立ち寄らなかったためネットで調べてみると、日本海側で最大の観覧車だという。それにしてもカップルなら2万円で夜貸し切りにできるなんて凄い遊園地。何より入園無料、300円ぽっきりで観覧車に乗れるというのだから、一回乗っておけばよかったと後悔。ただ平日の朝から若い男がひとりで乗るのも変か…。
 今日はうっかり寝坊で糸魚川観光をぶっ飛ばしてしまったが、それでも進みが遅めの気がして、ひたすら歩道がしっかりしている国道8号線を行くことにしてしまった。取り立てて書くことも無くなってしまったので、多少遠回りしても海沿い県道1・2号を行った方が良かっただろうと思う。あえて書くとすれば、自転車も原付も一台も見なかったということ。そんな自動車所有率全国2位(1.7台/世帯)の一人一台の車の土地柄からか、大規模小売店複合施設が国道沿いに発達している模様。いわゆるスーパーセンターという店舗形態で、ホームセンターと食品スーパー、その他の店が一箇所に出展する広い駐車場と平屋の建物が特徴のもの。ぶっちゃた話、滋賀からずっとそうであったのだが、モータリゼーションと都市・郊外の公共交通について考えを発展させたくなる。一体この国道が整備される前はどんな生活が営まれていたのだろうと空想してみる時間がゆったりと取れる。
 この日は富山在住の先輩と会えることになっていた。(一部の人にはこの情報だけで誰か分かるので、これに留める) 前日にぶっつけでメールを送ってみると有り難き幸せ、忙しい中時間を取ってくれるという優しい先輩である。富山市街でどうにか久しぶりに懐かしい顔にお目にかかれる。気前の良い社会人の先輩にお寿司屋に連れて行っていただく。
 比べるのも失礼かも知れないが、大阪のスーパーで買う寿司とはやっぱりネタが全然違う。新潟の人が「大阪って食い倒れの街っていうわりには、黒門にしても死んだような魚が並んでるよね…」と評していたのを思い出し、また長崎の島で育った母がよく「食べ物は海沿い」と言っているのが頭に浮かぶ。分かる。大阪のベッドタウンで育った人間にしてみれば、富山は本当に幸せな街だと思う。海と山に囲まれ、ご飯も海鮮もおいしくいただける。「美味しい」という言葉の弾みが気持ちと共振する、と書くとなんか痛いタッチだが、とにかく素直にうまい。ブリトロと白エビ、これは特に。甘い、感激。うまいで変換できる字の中に「甘い」があるが、まさにそうで、本当においしいと甘いのだと思う。鱈腹ごちそうさまでした。先輩と富山に、本当に感謝です。出世払いでお願いします。
 先輩と話していると、京都にいた頃心なしか感じていた角(かど)がとれて、何か柔らかくなっているような気がした。富山だからなのか、大人だからなのか、自分自身が人と暫く話してなかったからなのか、なぜそう感じたのかは分からない。ここでの話の内容については、書きたいことはいっぱいあるのだけれども、大切すぎて書いてしまうのがもったいないか。
 ありがたやー、ありがたやー。意味不明な歌を作りながら自転車を漕ぎ出す。持つべきは先輩でした。
 ところで、今の自分に影響を強い与えた人を10人挙げるとすれば、どうなるだろうかと考えてみたくなることがある。成人式の日にも同じことを考えていた。この作業をすると、決して自分がオリジナルな存在ではないのだと思えてくる。袋小路を交差点まで戻るような行程である。
 決まって接触時間の長い家族で、片手は一杯。反面教師にする面、自然に似てしまった面などで物事を対象に考える父、そして人のことを思う母、7つ離れた喧嘩相手の姉、しこたま叱ってくれた父方の祖母、何かと教訓を教えてくれる同じく祖父。そこから誰を挙げるかだろう。出会った人すべての影響を受けているのは歴然とした事実で、勿論部門別でノミネートしている人を挙げればきりがない。だが、この先輩は必ず入ると思うときがしばしばある。単に一語「センス」とまとめるのはナンセンスだが、彼の弾力性(体型ではなくて)というか、人間的な要素を思い出すと、自分の空論を是正してくれるような作用をもたらすんじゃないかと期待してしまう、いわば依存対象。通り過ぎてやや崇めている節もあるかも知れない。
 旅行記の本筋に話を戻すことにする。
 富山市街は思っていたよりも規模が大きく拓けた街の印象を受ける。この街で見ておこうと思ったのはLRT(ライトレール)である。地元のまちづくり座談会に参加した際に、都市公共交通を考えてみる機会があったこともあってどんなものか見ておくのもいいと思っていた。とにかく静かでスムーズかつスマートに走る。交通機関は利用者が減って不採算になると事業整理され使いにくくなる、使いにくくなると使わなくなる、使わなくなると使えなくなるという負の連鎖で衰退する。それを路面電車という側面で回復する起爆剤として期待されたのがLRTだが、なかなかお洒落に走っている。それにしても富山は自動車利用率が高いからか、道がしっかりしていて綺麗。道の狭い自分の街ではこれは実行できないだろうが、何か新しいアイディアのエッセンスになるかも知れないと思って見るも、なかなかいい発想が浮かばない。頭堅いか。
 富山のまちは神通川と成願寺川のつくった扇状地にある。その西側の片方、神通川を渡って県道44号近くの北陸街道を通りながら高岡を目指す。
 奈良・鎌倉と並んで三大仏のある街だが、この高岡大仏、正直それほど迫力と有難みがない気もする。だが古い街並みがちょっとだけ残っているのは面白い。和モダンというか、古い土蔵と西洋建築的なものの融合が古くて新鮮である。ただ、世界遺産は無理ですから〜っ、残念。
 高岡はコロッケの消費量が日本一だとか。高岡大仏コロッケが、期間限定で文庫大の大きさでローソンで売られていた。確かに大きい。味もクリーミーで美味しい。120円、買いだと思う。
 そしてメルヘンの街をうたう小矢部へ。小矢部市には北陸本線に小矢部駅はなく、中心部にあるのは石動(いするぎ)駅。日も沈んでしまい、富山と石川をつなぐ倶利伽羅(くりから)峠越えを悩みながらこの駅を過ぎる。本当の倶利伽羅峠は旧北陸道の細い道を行かねばならない。すんなりと石川へ伸びる今の8号線のくりからトンネルは、天田峠の下にある。とはいっても古戦場の近くで、心霊スポットとしても有名だと聞く。そういうのはあまり信じない方なので、と思ったが、ダメだった。心霊云々の問題ではなく、真っ暗で道が見えない。車も少なく、横が溝なのか怪しい。前日の恐怖がよぎって大事を取って急遽断念する。
 メルヘンの街なんて初耳だが、明日回ってみようかと思いながら天気予報を見る前に寝ていたりする人、ひとり。

 起きたら予定時間を過ぎている。いわゆる寝坊である。またかよ。
 キレイサッパリ、メルヘンの街観光の予定を忘れ、クロスランドおやべのタワーも見逃して、くりからトンネルに入ってしまう。歩道はないが路肩があるので、まぁ走行できる。サーっと下り坂を飛ばしてみる。抜けた、石川だ!と思った瞬間、異変に気づく。前輪の空気ゼロ。トンネル内の石をひっかけそうになって焦ったのだが、どうやら鉄板のようなものを踏んだ時にでもパンクしたらしい。落下物は本当にやめて欲しい。くりからトンネル、朝でも魔物が…。
 早速パンク修理を始める。穴の箇所は音と見た目で分かったので助かった。津幡(つばた)の街まで10km近くある。こんなところから下り坂とはいえこのまま走るのは過酷。朝から上り坂と下り坂に加えて「まさか」の展開。金槌がなくて弱い圧着ながらも何とか穴は塞いだのだが、肝心な時にスプレー式の空気入れが空になる。おいっ…、人いないし…。
 運良く数キロのところにガソリンスタンドを発見。ダメもとで「自転車の空気入れありませんか?」と聞いてみるが、もちろん不発。だが車用の空気入れで工夫しながら入れてくれる。ありがとう!感謝さまさまである。
 津幡までは下り、しばらく平坦な道を行くと金沢である。ここのところ何回か立ち寄っているところだが金沢の台所、近江町市場には行っていないので歩いてみる。京都の錦市場のようなところであるが、海に面した街だけに海産物が多い模様。「お兄さん、カニどう?全部5千円だよ」というおじさんを適当にあしらいつつも物色してみる。内心、この貧弱なカニで5千円は高いだろう、観光客向けの商売だな、と思いながら。人が混み合っているところで海鮮丼を見つけたが、朝ご飯にするにはちょっとツアリストプライスといった印象で高価。ミニにすると味噌汁のお椀ぐらいしかない。金沢は全体的に物価が高めの印象である。
 金沢で時間があれば見てみたかったのが市民芸術村・職人大学校という施設。特に観光地でもないのだが、文化行政と市民の文化活動の観点から興味があったため。撤退した紡績工場のレンガ造りの建物を活かして、音楽や演劇、石造などの創作活動に利用されている。のんびりと自由な時間が漂う。なかなかお洒落でいい。建物・舞台・広場を多様に使えそうな設計もいい。
 金沢を後にして、松任、小松と加賀を下る。そして見える、こまつドーム。いつぞやの市長が積極的に箱物をつくったもののひとつらしい。旅行中は遠くから眺めてみては「田んぼと民家の中にいきなりあるな」と思うだけだったが、調べてみるとちょくちょく出てくるエピソード。総工費80億円、観客席1500の市民のための多目的体育館は、雪国初の開閉式だとか。が開閉は1回5000円で、エアコンがないらしい。実は微妙に小振りで、硬式野球では使えないのだとか。なんじゃそりゃ。
 小松は人口10万規模だが、フォークリフトのコマツがあり、ギネス認定の世界最古の旅館があるという。そして空港もある(自衛隊の小松飛行場に民間機が乗り入れる形なだけなのだが)。行ったわけでもないから書くほどでもないか。
 お隣加賀には、世界のガラス館や加賀お菓子城なるものがあるらしい。驚いた、このバスツアー観光客専門といった雰囲気のスポット。あまりにその色合いが明確すぎて、却って興味が湧いてしまうほどだった。
 やがてダラダラと福井へ突入。朝の予報では加賀地方は夕方から降水確率80%と言っていたのを思いだして焦る。大聖寺からは山側へ行ってしまう8号線は峠越えもあっておもしろくないだろうと思い、吉崎経由で福井県道29号にしてみようと思い立つ。あちゃー、地図上ではあまりわからなかったのだが、結構アップダウンがある。あれま。ただ高校生が通学路に使っているようで自転車を軽々と漕いで上ってきたのを見ると、体力不足を感じるところである。
 北潟湖はよかったですが、青木湖の感動でやや感動のトーンが弱い。坂ノ下からの平野部をまっすぐと貫く道路にさしかかったとたんに、強風&小雨。周りに何もないので仕方なく前進あるのみ、結構な重労働。10kmの直線、長い。
 実はここで問題だったのは、台風の接近。翌日以降が雨と言われていたこともあって、その他の私用もありその後の旅の予定を組み直せねばならなかったので、悩んだ。日も傾いてしまったようで、福井で決断せねばならない。自転車で旅する以上、景色を楽しみたいので晴れであって欲しいとの思いから、結局福井駅の駐輪場に自転車を置いて、電車で大阪に帰ることに。
 訛りのきつい福井弁が飛び交うみどりの窓口で時刻表を見ていると、電車までしばらく時間があったので夕食へ。駅前の小川家なるチェーン店のソースカツ丼屋で、福井名物とうたう、おろしそばとソースカツ丼がセットになった東尋坊セットを食してみる。主食と主食、ボリュームがそこそこある。4時間3000円のきっぷで電車に飛び乗る──。

 今回の旅行では、あえて下調べをせずに行っている。ガイドブックに載っているところは、観光客向けに書かれているので、偉く期待していくものの、実際に行ってみると意外とあっさりしていたりするからあまり好きではない。だが、とことん事前の知識が足りていない、ということが後から分かる。
 自動車向けのロードマップを持っていったためわからなかったのだが、加賀海岸はサイクリングロードが整備されているらしく、海沿いをずっと行ってみるのもよかったのではないかと思う。また日本最古の天守を備える丸岡城を知らずに思いっきり飛ばしてしまう。永平寺まで足を伸ばしてみるのも悪くなかったかと思う。日中国道を走って距離を稼ぐも、観て面白そうなところを素通りしてしまう背景には、やはりシティサイクル、スピードが出ないことを心得ておくべき。
 教訓を挙げればきりがない。福井駅に自転車がまだあるのなら、10月上旬に数泊で京都まで旅を再開したいと思うところ。今度はゆっくり目に。
 それにしても、だらだらとどうでもいいことを書きすぎたか。とりあえずここまでで一旦ブログの記事にしておくことにする。写真も敢えて入れていない。書いた本人を含め、誰ひとりとして全文を読むことはないと思う。なんせしょうもないことばかりの2万字。卒論並みの分量にしてみたが、有用な観光ガイド的エッセンスは全くなく、700kmの延々とただ長いだけの行動と思考の記録でしかない。
※なんせブログだから。( 2008年9月12〜18日 )


<チャリンコロードダイジェスト>

道中どんな道なのかを携帯電話で確認する際に、先駆者のブログを参考にしたこともあったので、簡単に行程と自転車旅行者向けに道路状況を書いておくことに。

【1日目】
京都・西院を出発 → 四条烏丸から三条京阪あたりは自転車通行禁止なので歩道の広い御池通へ → 三条通りを抜けて山科 → 逢坂の関(国道1号:歩道は南側のみ) → 近江大橋(勿論自転車通行可) → 琵琶湖博物館(臨時休館) → 道の駅草津で休憩 → 近江八幡駅(時間があれば市街のウォーリズ建築もいいと思う) → (滋賀県道48号ほか田園地帯を爽快に通過) → 彦根城(城の手前の整形された街並みを楽しめる) → 国道21号:歩道なしで路肩は広め、ゆったりと長いやや登坂 → 関ヶ原(通過) → 19号の垂井〜大垣は外食系多い → 大垣駅

【2日目】
大垣駅 → 養老電鉄サイクルトレイン(土日と長期休暇は普通乗車賃で2両目に自転車を載せられ養老駅まで400円) → (養老駅西側地区は坂) → 養老・天命反転地(大人710円・コインロッカー100円) → 揖斐川(福束大橋)・長良川(大藪大橋)・木曽川(濃尾大橋) → 犬山城周辺(到着時間遅く入れず) → 木曽川沿い(国道21号) → 日本ライン(既に薄暗い) → (川沿いに自転車道あり) → 美濃加茂(宿探しで困惑) → 国道248号・可児バイパス(歩道広いが街灯なしで起伏あり、周囲暗く夜は心細い) → 多治見

【3日目】
多治見 → 神言修道院(外観) → 国道19号(歩道あり起伏あり) → 土岐・瑞浪(岐阜県道69・352号) → 国道19号(歩道は広いが恵那・中津川は起伏多い) → 市道(かなりの急坂・でも景色いい) → 馬籠(まごめ)宿 → 自然植物園方面から市道(かなり急坂)・国道19号(歩道一部有)経由 → 妻籠(つまご)宿 → 道の駅大桑 → 国道19号(山側に狭い歩道、夜は真っ暗、数回車道と歩道が大分離れる) → 寝覚の床

【4日目】
寝覚の床 → 木曽の桟(かけはし) → 新鳥居トンネル(歩道あり・確か北側・薮原から奈良井へ向かって下り) → 国道19号は奈良井川沿いになるので流れは反対向きに → 奈良井宿(大きい宿場町) → 奈良井木曽の大橋(観光すべきでもないし道の駅はただのPA) → 本山宿から蕎麦畑の広がる長野県道304号(旧街道) → 塩尻・桔梗ヶ原(ぶどう・リンゴ畑広がる) → 県道294号(旧街道、歩道狭い) → 広岡付近に短歌資料館(〜16:30) → 国道19号で松本市街

【5日目】
松本(修復中の松本城・旧開智学校) → 城山公園(松本とアルプスが見放題、周辺住宅街で道ややこしく凄まじい急坂) → 国道19号(一部歩道走行しずらいがやがて走りやすく) → 県道305号(段差以外は走りやすい、歩道なくても路肩広い部分も、リバービュー微妙) → わさび農場 → 安曇野とアルプスを遠くに眺めながる → 道の駅安曇野松川 → 大町・塩の道博物館(大人500円) → 木崎湖・中綱湖・青木湖(簗場からの旧道がレイクビュー綺麗、青木湖過ぎのトンネル横の歩道は走行不能なのでトンネルを、抜けたら最高の下り) → 姫川源流湧水地(遊歩道散策・蜂に注意) → 道の駅白馬(値段高いかも…) → 白馬駅(無料足湯あり) → 吊り橋(微妙) → ※白馬〜根知付近までできる限り自転車は旧道利用推奨、小谷(おたり)からの連続洞門だが、西側(壁側)にしかない歩道は溝の蓋だけの30cm幅ぐらいで壁には突起物も多くかなり通行がやっと、唐突に段差があったりしてかなり危険だが路側帯は10cmぐらいしかないので仕方なく歩道を走行(日没後は月明かりも入らない洞門にはライトなし=視界1m程度で命の危険を感じるため絶対回避すべき=トンネル内の方がむしろ安全。大型トラックも通るが連続した車列が全部通り過ぎると本当に闇、ただ9割以上下りなので素早く脱出したいところでついスピードが出るので細心の注意を) → 大野辺りまで行くと走りやすくなり楽に → 糸魚川(駅前ビル内の観光案内所に民宿一覧表があり紙だけなら21時ぐらいまで入手可)

【6日目】
糸魚川 → 親不知(おやしらず) → 道の駅ピアパーク(夕陽スポットとしては綺麗だが、親不知の臨場感は弱い) → 国道8号(洞門の連続、険しいところは殆ど歩道なし、部分的に路肩1m弱、大型トラック多め、そして坂) → 天険トンネル付近が見所 → 境川からは県道がアップダウン少ない → 宮崎のトンネルは自転車通行不可のため県道60号を利用 → 魚津・ミラージュランドの観覧車を見ながら滑川などを経て → 富山(お寿司=別記/LRT見物) → 富山県道44号(北陸街道、良くもなく悪くもなく) → 高岡(大仏・街並・コロッケ) → 国道8号(歩道あり) → 不覚にも日没のため峠越えできず小矢部泊

【7日目】
石動駅 → 国道471・県道16号で安楽寺西から国道8号に戻り「くりからトンネル」(富山から石川側へは下り、歩道なし、路肩は両車線1mぐらいあるが落下物が多く要注意=パンクした) → トンネル出口の九折(つづらおり)から県道286へ(上らずに済む) → 金沢(近江町市場ほか) → 国道8号(路肩や歩道はそれほど危険でもなかった気がする) → 太鼓の里資料館から金沢バイパス側を利用すると沿道には何もない、高架部分は下に自転車向けの農道みたいのがついているので爽快にとばせる → 大長野西交差点から古い方の8号へ → 粟津付近からこまつドームが遠くに見える → 世界のガラス館(まさにツアー客向けの無料グル観光施設) → 大聖寺市街から国道305、吉崎から県道29を使うも、両者アップダウンが激しく周辺何もないし歩道使えない部分多い、ただ木潟湖のレイクビューや丘陵部の畑などは綺麗 → 金津・坂ノ下からの直線は、東側車線も歩道があるのに段差と草で利用悩ましいので路肩の狭い交差点付近以外は1m弱の路肩を走行、周辺ひたすら田畑(台風の影響かかなり強風で雨) → 坂井から賑わう → 県道5号と合流し福井駅(駅北側の高架下に無料駐輪場)
*後日感:加賀海岸沿いにサイクリングロードがあるらしい、8号線なら丸岡城なんかを見て回るのが良さそう。
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